時代はもう全然変わってしまって、価値観の転換に、中年は対応していかなければいけない ー田中俊之
田中 僕と男爵は1975年生まれで、ちょうど同い年です。だいたい2055年ぐらいに死ぬということになっている(笑)。人生は80年ぐらいなので、僕らの場合だと、残されているのは中年と老年期なんです。こういうことを客観的に見定めて、これから死んでいくということをまじめに考えなければいけない年齢になってきている。
山田 半分以上過ぎているということですよね。何かをやれる、ということを考えたら、65とか70とかその辺までなんでしょうね。
田中 僕は41歳ですが、この年齢で何か若手感があるのがまずいなと思っているんです。芸人さんも、最近は40ぐらいだと若手芸人さんという感じがありますよね。
僕の憧れの社会学者である宮台真司先生は、30歳代の前半で若手論客として注目されていました。
僕はもう41歳のおじさんだから、若手と言われても…。何かこのいつまでも若手という行き詰まり感のようなものがマズいのではないかなという気がしています。つまり、自分が中年であるということと、置かれている若手というポジションがマッチしていないんです。
僕たちより下の世代に、例えば、ユーチューバーとかいるではないですか。この間もカフェでお茶を飲んでいたら、自分で自撮り棒を持って、中継しながらお茶を飲んでいる若い女の子がいるんですよ。僕には意味がわからない(笑)。
でも、そういう世界にパン!と行ってしまう人が出てきているわけですよね。僕らより10歳、20歳ぐらい下の人たちには、違う道が見えているんですよ。
僕たちは、若いときに流行っていたものの列に並んでいたら自分の順番がくる、と思っているんですね。でも、実は、その業界が終わっているのではないか、ということに、この間、気づいたんですね。僕は、旧式の学者社会の中で列に並んでいるから、若手感があるわけですよ。
このこと自体を、中年の僕らは認識した方がいいのではないかと思っています。
山田 なるほどね。僕らが並んでいる列には、もう後ろに並ばへんのちゃうのか、ということ。
田中 やはり、どうしても生まれ育ったときの記憶が強いではないですか。20歳代ぐらいまでを過ごした時代の感覚、つまり1990年代の感覚で、それ以降を生きていますからね。
でも、時代はもう全然変わってしまっていて、価値観の転換に、中年は対応していかなければいけない。自分が年を取ってしまうと、新しいものが受け入れられなくなってしまうことがあります。ユーチューバーとか、僕からみたら、あさっての方向ではないですか。特に、新しく出てきたものに何か嫌悪感を持ったときには、そうなります。「若いやつは」と言うのではなくて、取り入れられる部分があれば取り入れたいですね。
山田 その方が、多分気持ち的に楽ですよね、否定しにいくよりね。
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ラジオは人を救わない。正直、救えない、ということです