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みんなが主人公にはなれない。とりあえず、なれた自分でやっていくんだ、という考えも、大事やと思うんです ー山田ルイ53世

田中 そこで、男爵と議論したいのは、「主人公」ということについてです。ビジネスジャーナルの対談でも、「みんなが主人公でなければならない」という社会には違和感がある、という話をしました。

山田 そうですね。誰しもがキラキラしておかなアカン、素敵な人生を送らなアカン、主人公やヒーローになるのはいいことなんだよ、と言い過ぎている気はするんですよね。
言うたら、ほとんどが脇役かエキストラですよ、僕も含めて。そんなにみんながゴールデンタイムにMCを何年もやっています、みたいなことにならないわけです。ひとつまみです。ひと爪の垢ぐらいの、なんか入っているなくらいなことですよ。

田中 「一億総活躍」もおかしい言葉ではないかと。みんなが活躍してしまっているんですものね。

山田 一億総活躍やったら、誰も活躍していないのと一緒ですから。「一万活躍、ほか駄目」やったら分かるんですけれども、「一億総活躍」というのは嘘ですから。ちょっと違和感がありますよね。

田中 こういうことを言うと、「そんな皮肉を言って」とか「みんな何者かになれるよ」と言われてしまいますが、僕も本当にみんなが主人公にはなれないと思います(笑)。

山田 なれないですよ。それでも、とりあえず、なれた自分でやっていくんだ、という考えも、大事やと思うんですね。

田中 いまのはいい言葉ですね。「なれた自分でやっていく」。
「何者にもなれないということに、後ろ体重をかけておいたほうがいい」という話を、男爵は前にされていました。危機管理ですね。

山田 こんな自分になりたい、こういう目標がある、それももちろん素敵なことですけれど、その全てになれなかった場合にどうしようという気持ちも、常にもっておいたほうがいいと思います。
残念ながら、僕らの場合は、答えは出とるわけです。いろいろな選択肢はもうないんですけれども。

田中 これは、子ども達にもきちんと言ってあげた方がいいと思っています。小島慶子さんと僕の対談をまとめた『不自由な男たち、その生きづらさは、どこから来るのか』にも書いてありますが、小島さんはいまオーストラリアに住んでいて、プロサッカー選手が息子さんの入っているチームに教えに来てくれるんだそうです。プロサッカー選手が、子どもたちに「君らはプロにはなれない。なれないけれど、サッカーを好きだからやるんじゃないか」とおっしゃったんですね。でも、日本だと違うではないですか。「君もプロサッカー選手になれるよ」と言う。

山田 ようそんな嘘つくなと。頑張ればなれるんかなと思うけど、ここにいる全員がなれるはずないから、結局、あれは裏を返すと、誰もなれないと言っているに等しいんです。

田中 プロになることが目標ではなく、自分が好きだったら、先ほどの趣味の話ではないですが、40歳、50歳でもやっていていいじゃないですか、上手くなりたいわけではないですから。
「主人公になれない」と言うことは、正論を言いたい方からすると「そんなひどいことを言うんですか」となるのですが、逆に、「なれるよ」と言う方が結果は残酷だし、子どものためにはならないと思います。

山田 みんな主人公だ、キラキラ輝かないとダメだというのは、そうなった人間の意見の平均値ですから、若干圧力はありますよね。
例えば、全然なりたかった自分ではないけれど、儲かってますねんという人もいっぱいおるし。自分が思っていたことではなかったけれども、日に2回ぐらいはテンションが上がって楽しい気持ちになりますわ、と言う人もいるわけじゃないですか。
「なりたい自分になるんや」というのは、ほんまに一面だけでしょう。そうでなかったら、「俺はかっこ悪い人間やな」と思わされてしまうのが、ちょっと怖いですよね。

〈後編〉に続きます

〈後編 斜に構えて、笑ってやり過ごす〉