質問6 主体的に行動することに慣れていない、自分から声を発することがなかなかできない子たちがいます。何かしたいと思ったことをうまく引き出す、また、うまい見つけ方などはあるのでしょうか?

坂倉 一般的な話になりますが、私は、芝の家の経験をいくつかの論文にまとめたことがあり、そのうちの一つは、「人が本当に自分のやりたいことをやるためには、いきなりやるわけではなくて、いろいろ段階がある」という内容だったんです。

芝の家をみていると、すごく生き生きと活動している人もいますが、普通にお茶を飲んでいるだけの人もいます。アンケートをしたら、ある方は、「芝の家には休憩しに来ている。何もしなくていいから来る」と書きながら、「芝の家でこういう活動をしています」とも書いている。1人の人間の中に、「何かを主体的にやる」ことと「ここは単に自分らしくしいていいから、ただいるだけ」が混在していて、私は、何が起こっているか全くわからなかったんです。

それで、何かをやっている人も最初からそれをやりに来たわけではないのではないか、と仮説を立てました。最初に芝の家に来ると、「ここに私がいてもいいのかな」ということを確かめます。いいとわかってきたら居場所になって、愛着が湧いて毎日来るようになり、自分にとって意味のある場所になってくるんですね。

そうすると、だんだん行動が変わってきて、ちょっと片づけを手伝ったり、イベントの手伝いをしてみようといったことになっていく。もっとよく聞くと、他の人と関わることによって、本当に自分がやりたいことは何なのかがわかったりする。あるいは「やってみたらいいじゃない」と人に肩を押されて、「えーっ」と思いながらやるのだけれども、「あ、これが本当に私がやりたかったことかも」といったことがある。そんなことが、だんだんわかってきたんです。

だから、主体性は、たぶん1人では育まれないし、最初からいきなりは育まれない。初めから「お前はこれをやれ」と言われると、たぶんその時点でへこたれる人も中にはいる。「あなたは、これができようができまいが、今どういうことを考えようが、それはちゃんと認めますよ」と、何者かに脅かされない安心できるベースが築かれない限り、なかなか十全に自分のやりたいことを、自信を持ってできないのではないかなと思っています。

今は「どんなことであれ、いてもいいんですよ」と言ってくれる場所は、ほぼない。自分が何かできなかったら終わってしまうという、絶望感のある社会になってしまっているので、何をするでも、しないでも認めてもらえる場所がもっと増えたらいいなと思っています。

山納 僕は今の質問に対して、実はあまり答えを持っていないんです。それは、コモンカフェをやっていると、「私はカフェをやりたいです、料理作れます」とか「とにかくやりたいんです」というボルテージの高い人ばかりが来る、ということに改めて気付かされます。自己肯定感があまり高くない人、成功体験からフィードバックをあまり得ていない人は、そもそもやって来ない。

でも、本当は「場」って、そういう人たちが少しずつ自信を持つ、取り戻すためにあるべきものです。

今回、この本では、僕は「包摂する」ことに関して圧倒的に経験値が足りないので、いろいろな先輩方に話を伺うというスタイルで書いたのですが、今、坂倉さんに答えていただいたことに、まさにヒントがあると思いました。

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7 インクルーシブな空間をつくるには?