〈中編ー他者を迎え入れる、圧倒的な懐の深さと覚悟〉
上田さんが「カマン!メディアセンター」などの場づくりを通して得た、身の処し方「素人のプロ」について、そして、山納さんが、コモンカフェやコモンバーシングル、Walkin’ About(ウォーキンアバウト)などのフィールドワークを通して掴んだ「場づくりに必要な要素」を語ります。
外と内をつなぐ回路「カマン!メディアセンター」
上田 ココルームは2008年の正月に釜ヶ崎に移ります。釜ヶ崎では6月に24回目の暴動が起こるんですが、それが世間では知らされず、話題にもならなかったんですね。
釜ヶ崎に移るとき、「なんでそんなところに行くんだ」ということをかなり言われ、これまで訪れてくださっていた方がぱったりといらっしゃらなくなりました。実際に扉を開けて入っていらっしゃる方は労働者の方だったり、やくざだったり、よく分からない人だったり、かなり大変な人たちです。たしかに、ずいぶん変わりました。
そして、10月にリーマンショックが起り、年末年始に年越し派遣村があって、いわば、日本が釜ヶ崎化していく、まさに時代の変わり目に立ち会ってしまうわけです。ちょっとずつ釜ヶ崎の歴史や状況を知るにつれ、偏見とは逆で、現実の乗り越え方に注力してきたまちだと思いました。釜ヶ崎には、生き抜く為のいろいろな技術や知恵がたくさんあるんですね。炊き出し、シェルター、巡回相談など、何よりもおせっかいな人がいるんです。
けれど、多くの人が「あそこに行ったらあかん」「一人でいくもんやない」と言う。私は、ここは透明な塀に囲まれている、と強く感じたんです。そして、むしろ、日本の方が人は孤立して分断されている、と。ネットカフェなどにいる若者は、ホームレスにもなれない、発見もされないわけです。
この釜ヶ崎の知恵が、もう少しアクセスしやすくてもいいんじゃないかしらと考え、釜ヶ崎と日本をつなぐ回路を作ろう思いました。そして、「喫茶店」や「ココルーム」といっても伝わらないので、「釜ヶ崎メディアセンター」を作ろうと思いました。
助成金も取れて、物件も決まり、いよいよ看板を書こうと思っていたときに、商店会長から、事前に企画書を渡していたのですが、「『釜ヶ崎』という名前がこの商店街にあるのはちょっと困るのでやめて欲しい」と言われました。釜ヶ崎という名前によって差別をされてきたということなんです。
外と内とをつなぐメディアセンターを作ろうと思っていたけれど、内側にも分断があるのならば、それもつむぎ直せるようなメディアセンターでありたいと思いました。それで名前を変えて「カマン!メディアセンター」にしたんです。come on(カモン)と釜とcommons(コモンズ)を掛けた名前です。それを2009年6月にオープンしました。
本当に手探りでした。2年ぐらいで助成金がなくなって、どうしようかと思って、皆さんからいただいた寄付の物品をバザーとして置いてみることにしました。すると、おじさんたちや近所の人たちが「これちょうだい」「あれ、ないの?」と来てくれる。
喫茶店やカマン!メディアセンターにいろいろな相談事が持ち込まれるのです。別に「相談のります」と書いてないんですが、仕事はないか、家はないか、病院を探して、家出人を探して、さらに、「何していいか分かりません」といったことも相談されるのです。
私たちは何の専門家でもないので、「素人のプロ」として応答しようと思ったわけです。それは「困ったね、困ったね」と一緒に言うことなんです。
自分の悩み事を解決するにはどこに行けばいいのかが分かれば、ある程度問題は解消されますね。それが分からないから困っているのであって、こうしたわけの分からない喫茶店や物を売っているようなところで、ポロッと出てしまうことがあるんだろうと思います。
私たちは「困った、困った」と言いながらも、釜ヶ崎という地域の資源がありますから、「もしかしたらあの窓口や◯◯さんが相談に乗ってくれるかもしれません、行ってみます?」と言い、先方に電話を入れて紹介するんです。
そうすると、相談にきた方が、しばらくして、ふらりと立ち寄ってくれるのです。「元気にしてる? よかった、よかった」と声をかける。コーヒー1杯飲んでいってくれる。きっと『第三の場所』の役割なのだろうと思うんです。
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居心地がいいと思える空間を追求する