「やりたいこと」と「やってほしいこと」のずれを埋める
山納 2003年にミュージアムスクエアが閉館した後、僕は、メビック扇町でコラボレーションマネージャーという仕事に携わります。僕が接する人たちが、表現者や演劇などをやっている人たちからクリエイターに代わったんです。
ものをつくっている人だから一緒かと思っていたのですが、決定的に違っていることがあります。アーティストは、自分たちが表現したいものを思いつき、自分の中にずっと沈み込んでいって、そこで気に入った「これだ」というものを、とにかく手探りで掴んでくる。
クリエイターは、発注者からこんな広告をつくって欲しい、こんなコピーを書いて欲しい、こんなイラストを描いて欲しいという注文を受けて提案し、発注者とやりとりしながら合意点を見つけて表現をする。だから、アーティストほど自由ではないつくり方をしている。
アーティストのジレンマは、自分たちの好きなことをやっているけれど食えないことですが、クリエイターは、絶対こっちだと思うけれどもクライアントが「うん」と言わない、お金はもらえるけれども納得感がなかなか見えないことに悩んでいる、と気が付きました。
でも、中には、演劇のチラシをつくっているデザイナーが、劇団からの依頼に「だったら、こんなのでどう?」と自由に提案をして、劇団が「いいよ」と言ったらそれが世の中に1万枚、2万枚と撒かれることもある。自分の納得がいった仕事が世の中に出ていくこともあれば、クライアントが「うん」と言うまで頑張るというものもあって、「ああ、バランスなんだ」と思いました。つまり、頼む人と作り手との「コミュニケーション」がうまくいっていなかったら、どれほどいいデザインをつくってもどこにも出ていかないんだと感じました。
当時、僕は、広告主と広告クリエイターの意識のずれをテーマにした「私の納得のいった仕事全部見せます展」を開催しました。クリエイター54人に依頼して、彼らの納得のいった仕事を、その理由や見積書までパネルにして展示しました。
納得のいった理由は、自分が絶対こうだという提案を実現させてもらえたこと、自分が思っている以上のものを発注者が引き出してくれたことだということがわかり、結局、「コミュニケーション」なんです。クリエイターは、作品が尖っているとか、エッジが利いているということではなくて、「相手思いであること」が大事なのだ、ということに気が付きました。
僕は、2004年からcommon caféをやっています。日替わり店主のカフェですから、オーナーは僕であっても、カフェは、だんだんと日々お店に立つ店主や、やってくるお客さんのものになっていくのです。だったら、彼らにとって居心地のいいように、やりやすいように変わっていく方がいいし、僕がこうあるべきだと思っても仕方がない。守るべき一線は当然ありますが、僕がすべてのディレクションをやるというより、いろいろな人が、いろいろな思いをちょっとずつ載せていくことが場には大事なのだと思うようになりました。
僕が1冊目に書いた『common cafe』(西日本出版社)では、これを「自分軸」と「他人軸」と書いています。自分がやりたいということと他人がやってほしいと思っていること、それがどううまく折り合うか、ずれやギャップをどう埋めていけるか、ということが大切ではないかと思ったわけです。
〈中編〉に続きます
外と内をつなぐ回路「カマン!メディアセンター」
居心地がいいと思える空間を追求する
まち歩きを通して街の課題が見えてくる